ふりかえれば未来

提供:神戸市 / ©神戸市 / ©Kobe City

11月の初めに、東遊園地の150周年を記念して開催したセレモニーの際、ゲストでお越しいただいた蓑茂寿太郎(みのもとしたろう)先生が引用された「ふりかえれば未来」という言葉が耳に残っている。

東遊園地の記念冊子をつくり始めて以来、最近のわたしのテーマは”歴史”に強く引き寄せられている気がする。神戸市バスの企画で沿線の歴史を”サブカル郷土史家”佐々木孝昌(ささきたかまさ)さんにお伺いしたり、図書館などでNATURE STUDIOの周辺地域の古地図を見たり。

神戸が開港してこの街に外国人が住みはじめたからこそ東遊園地があって、彼らが球技をはじめ”設備がほとんど不要な”運動を心得ていたからこそ、東遊園地は今も遊具がメインの公園になっていないのかもしれない。(昔の写真を見るとすべり台などが設置されている時期もあったので、きっと山あり谷ありだけれど)

もっと遡ると、地理的条件が大きな要素だったと思うけれど、平清盛が湊山・平野付近に都を遷都しようと考えたところから、NATURE STUDIO周辺の歴史がはじまっている。明治時代の地図を見ると、奥平野村(現在の梅元町あたり)と石井村(現在の石井町あたり)、夢野村(夢野町あたり)のみしか建物はなく、その3つの村がある場所には現在も残る寺社仏閣がある。

これからまちの未来を考える時、これらの歴史はとても参考になる。その場所でどんな暮らしが営まれていたかは、昔に戻れば戻るほど地理的条件につながっている。不思議な曲がり方の道は川が流れていた名残であった、とか。

わたしたちの社会は、技術力こそ上がっているとしても、人が減りかつての規模に収束をはじめている。爆発力のある開発は都市のごく一部に集中し、それ以外の場所は心地よい規模を探ることになるのだろうと思う。

“どこでも、なんでもできる”という科学万能主義的な成長が望めない(望まない?)いま、やはり歴史に立ち返りながら、未来を考えたいと思う。

文/稲葉 滉星